長編4 空箱1-1

未完成のTS長編を投下します
が、その前にお詫びと諸注意を

以前までのネガティブストーリー「長編3シリーズ」を放置し、こんなもの始めました
長編3シリーズの続きを待っているという奇特な方には大変申し訳ございません
いや、絶対、完成させますけど
とりあえず、長編3の続きはしばしお待ちいただければと思います


*以下、注意事項
1:TSの話ではありません
2:女装キャラがメインにいます
3:女主人公です
4:相変わらず拙い文書です
*以上に不愉快を感じる方は、読まないことをお勧めいたします


内容はラブコメ風味……
うん、そのはず。ラブ米。たぶん、きっと

うだうだ語りましたが、とりあえずいつもどおりです
それでは、よろしくお願いします


空箱 1-1


 やっぱり、来なければよかった。
 新年まで残り三日を切った十二月の末、武内響はノコノコと友人に着いていった自分の愚かさを呪った。
 目の前には老若男女の大人数がひしめき合う、朝の通勤通学ラッシュを髣ふつとさせる光景がある。ただしスーツ姿や学生服の人間はほとんど見かけず、カバンの代わりにキャリーバッグを引きずる旅行者のような出で立ちが人だかりの多くを占めていた。
 彼らが観光でこの地へ降り立ったのならば、その目的はあの"二つ並んだ逆三角形"の建物しかあるまい。事実、旅行者らはこの周辺で唯一目立つ形をしたその建造物を一様に目指していた。
 そう、ここまでなら、まだ耐えられた。
 雑踏なんて普段の通学で見慣れているし、気持ち悪いほどの人数が行進さながらに建物の中へ吸い込まれていくのも、『あの逆三角形にどんな魅力が?』という疑問を抱く程度で済ませられた。
 しかし、しかしだ。
「……帰りたい」
 件の建物から出てきた青年とすれ違う。
 彼は、顔の四分の一を赤や青などのカラフルな眼球が陣取り、歯のない口で笑顔を浮かべる半裸同然の格好をした女の子がでかでかとプリントされた紙袋を後生大事に抱えていた。
 最初は私物なのかな、怖いな。というぐらいにしか考えていなかった。しかし第二第三ではきかない数の所有者が現れたことで、つまりあの建物の中にはあのような恐ろしい袋を販売している可能性がたちまちにして増した。
 今すぐにでもきびすを返し、この異様な空間から逃げ出したい。それが叶わないと知っているから、尚更だ。
 ヒビキをここまで運んできた鳥の名を冠する電車は、さっきのような紙袋の所有者で埋め尽くされている。
 駅に降り立ったときも混雑していたが、最初の方がまだ空いていたと錯覚してしまいそうなぐらい駅前は酷い有様になっていた。女一人で突貫するには高すぎる難易度だ。
「カナぁ~、どこ~?」
 情けない声で、自分をこの魔境に連れ込んだ元凶の名を呼ぶ。
 ここをシャングリラなどと称していた幼馴染は駅から抜け出た途端、ヒビキを残し逆三角形の中へ駆け込んでいった。慌てて後を追いかけようとしたが、眼前に広がる人ごみに気おされ放心したその一瞬で彼女とはそれきりになってしまった。
 進むことも、戻ることも出来ない。
 ヒビキが選べる行動は、友人の帰還を信じてこの場に留まる事だけだった。
「ひぃっ」
 また、紙袋とご対面する。今度の絵柄は、公然わいせつ物に指定されていても不思議ではない露出をした甲冑姿の女がプリントされていた。それを恥ずかしげもなく抱える人間と、運悪く目が合ってしまったことも悲鳴を上げる要因になる。
「きょ、興味がおありで?」
 小太りの男は口端をにやりと釣り上げ、黒縁の眼鏡を押し上げる。
 全力で首を左右に振りながら後退りするが、それが更なる不幸を呼んだ。
「きゃあっ」
 こんな混雑の中で前を見ずに歩いていては、人とぶつからないほうがおかしい。だが不運には不運が重なるものなのか、ぶつかった女性は荷物を地面にばら撒いてしまった。
 ばさばさと、キャリーバッグの中身が青空の下に晒される。
「わ、す、すいませ……っ」
 慌てて拾い上げようとして身を屈めた瞬間、ヒビキは石になった。
 ぶちまけられたのは、B5サイズの薄い冊子だった。表紙には、紙袋にあったような絵よりは幾分か人間に近い男性が描かれている。
 恐ろしいのは、その男性が裸で、もう一人の半裸の男と抱き合っている構図だった。
「レイ様にさわんなブス!」
 ぶつかった女性は、さし伸ばしたヒビキの手を振り払い、せっせと冊子を回収していく。
「あーもう汚れちゃった汚れちゃったどうしてくれんのよこのクソアマ。レン様のお顔に泥を塗るなんて何考えてんの信じらんない最低」
「き、キミ。逃げよう。腐女子を相手にしちゃいけない!(キリッ」
「なぁにがキリッだよこのキモオタ。企業ブース目当てで聖地来てんじゃねぇよヴォケ」
「僕がいつどこに来ようが勝手だろう。こ、これだから三次の女は!」
「あ、あの、あの、あの……み、みんな見ています」
 ヒビキを間に挟んで口論を始める男女に、自然と注目も集まってくる。人に見られることに不慣れな彼女は、なんとかこの場を穏便に収めようと仲裁を試みた。
「ホモじゃねーし! ボーイズラブだし!」
「レズって言うな! 百合って言えぇ!」
 ヒビキの言葉は、白熱する二人の耳には届いていそうになかった。
 気がつけば三人の周りを取り囲むようにして人垣が出来上がっている。喧騒にまぎれて、スタッフを呼べとかどうとかいう会話も聞こえてきた。
「あ、ここにいたんだ」
「え?」
 ふわりと、ヒビキの肩に何かが触れる。
 振り向くと、見知らぬ女性が背後にいた。
 不思議な雰囲気を持つ長くて美しい白髪を湛えた少女は、ヒビキの両肩に手を置いてニコニコと微笑んでいる。綺麗なのにどこか子供っぽさを纏ったその笑顔が、はりつめた警戒心を少しだけ和らげた。
「もー探したよ? ほら、早く行こう?」
「え、えと」
「シッ。話し合わせて」
 戸惑うヒビキを小声でいさめ、白髪の少女が手を握る。
「ほら、走って走って」
 力強くはないもののグイッと腕を引かれ、ふらつきながらその後に続いた。
 逃げながら一度だけ後ろを振り返ると、罵り合っていたさっきの男女は『スタッフ』と書かれた腕章をつける軍服の男に呼び止められ、平謝りしていた。
 白髪の少女は軽やかな足取りで人ごみを避け、階段を降り、東京湾に面した遊歩道へとヒビキを導いた。
「ふぅっ。ここまでくれば大丈夫かな」
 海風に髪をなびかせながら、女は清々しい声で額の汗をぬぐう仕草を見せる。
 白髪のせいで一見すると年齢不詳だが、よくみると歳にそう違いがあるようには思えない。同世代だとわかり、ヒビキはより平静を取り戻していった。
「あの、ありがとうございました」
 頭を下げて、改めて少女に礼を言う。あのまま渦中にいたら、緊張のあまり失神しかねなかった。
「うん? あぁ、いいって。こっちこそ、一人のオタクとして謝るよ。ごめんね」
「いえ、そんな」
「さっきの二人も悪気はないんだよ? ただ、ボクらって行き過ぎると周りが見えてないとこがあるっていうか……うーん」
 女の人はサバサバとした喋り方をして、困ったように擁護の言葉を連ねている。その姿はとても人間くさくて、初見のときに抱いたミステリアスな印象はヒビキの中でどんどん変化していった。
「とにかく、これに懲りず、またここに来てくれたら嬉しいな。……駄目?」
「……だ、駄目じゃ、ないです」
 正直なところ、もう二度とこの地に足を踏み入れたくはなかった。けれどここで首を振ってしまえば、もう二度と彼女に出会うことはない気がする。それを惜しむだけの気持ちが自分の中に生まれていることにハッとなり、ヒビキの全身を熱が駆け巡った。
 同性相手になぜ胸を高鳴らせているのか、心はぐるぐると空回りするばかりで答えをはじき出さない。
「ま、また、来ます」
「そっかぁ。よかっ────」
 花が咲いた、という表現がぴったりな笑顔で、白髪の少女は微笑んだ。
 同時に、風が一際強めに吹き、彼女の髪とスカートを舞い上げる。
「…………え」
「ひゃんっ」
 慌ててスカートを押さえるが、もう遅い。ヒビキの目は、その下着の形を鮮明に捉えてしまった。
 見慣れた三角形とは異なる、四角い下着は……トランクス?
「それ、どど、どう、して」
 男性下着を着用する女が、ゼロというわけではない。しかし見込みの薄い期待は、簡単に失望へと変化した。
「どうしても何も……ボク、男だし」
 照れたように笑う、白髪の少女は。
 ごく当たり前のことのように、自分が少女ではないと語ったのだった。

***

 放課後の教室に残っていた二人の少女の内一人が、昨年の出会いを語り終え、深い息をつく。
 長文を喋ることに慣れていないせいもあってか、彼女の呼吸はやや乱れがちだった。
「へぇ、そんなことがあったんだ」
 話を聞き終えた同級生の少女は、特に関心を寄せる風でもない感想をため息のように呟く。自分の話術が優れているわけでなく、第三者へ語るには盛り上がりの少ないエピソードであることも自覚済みなので、ヒビキは大人しく「うん」とだけ答えた。
「っていうか、アンタその頃から気弱なんだね」
 同級生はイスの背もたれに肘をつき、八重歯を見せながら意地の悪そうな顔で笑った。
 彼女の言っているのが、話の『オチ』に当たる部分についてであることはほぼ間違いない。
 助けてくれた美少女の正体が実は男だったと判明し、ヒビキはついに気を失った。去年の十二月、目の前にいる友人とは年月に差のある友人に連れられていった東京での一幕は、それで結びとなる。
 一応、その女装男が救護室まで自分を運んでくれたというおまけエピローグもあるが、話す前に同級生が口を開いたためそこはカットしておくことにした。
「その頃からって、まだ半年ぐらいしか経ってない、けど」
「でもその半年で沢山のことが変わった。よね?」
「う、うん」
 季節は冬から梅雨へと変わり、新入生と呼ばれることに違和感を覚えるほどの月日が流れた。
 高校に入り、部活前にクラスメイトとこうしてお喋りに興じるなんて、半年前までは考えもしなかったことだ。彼女の言う通り、驚くほどヒビキの周りは急変した。
 だが、変わらないものだって当然ある。性格など、その最たるものだ。
 平穏を好み、予想外に弱く、焦り、最後は失神する。ヒビキの十六年間はこれを克服することなく、また克服する必要性もさほど感じないまま過ぎていった。
「失神するより先に逃げなきゃだめだから。そーゆー変態と会ったらさ」
「そ、それはメイだからだよ。わたし、メイみたいになれないもの」
「ならなくていいならなくて。ヒビキはヒビキのままでいるほうが、ずっと可愛いし」
 高橋鳴子はヒビキの発言を払いのけるようにして手を振り、冗談混じりの口調でからかってくる。
 自分を可愛いなどと言える要素がいったいどこにあるのか、鳴子のその言葉を聞くたびに心の中ではいつも首を傾げていた。
「わ、わたし、そろそろ行くね?」
 教室に備え付けられた時計に目をやると、放課後からすでに三十分が経過していた。集合時間が特に決められていないルーズな部活動とはいえ、この時間ならもう全員集まっているだろう。
「えー、もう?」
「ごめんね。で、でもメイだって、部活ある、よね?」
「めーちゃん準備運動なんかより、ヒビキとだべっている方が良いタイム出せるんだけどなぁ」
 会話より準備運動の方が間違いなく大事だと、いつも思う。一度それをそのまま口に出したら、『ヒビキは自分のパワーをわかってなさ過ぎ!』というよくわからない理由で怒られたので、今回も苦笑いを返すだけにとどめておいた。
「じゃ、じゃあまた明日」
「うん。がんばれヒビキ~」
 軽快な口調で励ましの言葉を添える鳴子と別れ、教室を出る。
 主語がすっぽりと抜けた送り出しだったが、言いたいことはちゃんと伝わっていた。
「がんばるよ、メイ」
 これといって何をするわけではない。
 しかし気弱なヒビキにとって一人でどこかへ行くということは、常に不安と隣りあわせだった。
 部室のドアを開ける、ただそれだけのことに緊張し、硬直してしまう。入部してから二ヶ月が過ぎ、いまだにドアノブをつかむことすら気合いを必要とした。
 自分を引っ張り回してくれた幼馴染が、どれだけ重要な存在だったか今になって思い知ることも度々だ。
「でも、頼ってばかりじゃ、駄目だよね」
 彼女と高校が別れたことで、ビキは気弱なりにも能動的にならざるを得なくなった。だがそれが転機へと結びついた。
 いつまでも幼馴染の手に引かれるままの自分でいたら、鳴子と仲良くなることはなかったし、たった一人で部室を訪れようという勇気も得られなかっただろう。
 一人では何も出来ないような人間が、魅力的になれるはずもない。
 そんな自分が、『彼』に近づけるはずもないのだ。

 ヒビキの所属している文芸部は、昨日と変わらない場所にあった。当たり前だ。どうやらさっそくパニックし始めたらしく思考が怪しい。
「すぅ~~~~~……はぁ~~~~~~」
 大きく深呼吸をし、特に新鮮ではない学校の空気を取り入れ気持ちをリフレッシュさせる。
 扉の向こうからは、数人の話し声が聞こえていた。ドアを開ける難易度がさらに上がる。家に帰りたい。
「が、がんばれヒビキ」
 先の友人から贈られた言葉を反芻し、震える指先でドアノブを回す。
 扉を開いたその瞬間、六つの瞳が一斉に自分に集まった。帰りたい。帰って布団にくるまりたい。でも最近暑くなってきたのでそろそろ夏用を出す必要がありそうだけど今はそんなこと関係ない。
「こんにちはです、ヒビキちゃん」
 一番近くにいた女性が、優しげな視線でヒビキの訪問を暖かく出迎えてくれた。
 遅れてやってきた後輩に何の咎も与えず、優しく微笑んでくれる彼女は、今日も後光がさして見える。
 稲木綾女は自分の一つ年上だとは到底信じられない抜群のスタイルを持ち、なおかつその全てを包み込むような慈愛の笑顔で同性異性学年問わず絶大な人気を誇っていた。
 ヒビキも、熱心ではないが綾女を慕っている一後輩だ。
「すいませんアヤ先輩、遅れました」
 よんどころのない事情があるとはいえ、遅刻は遅刻なので素直に頭を下げる。
 先輩で部長で尊敬の象徴でもある綾女をあだ名で呼ぶことに、初めはもちろん抵抗を覚えた。しかし本人から直々にそうしてくれと言われては従う他なかったのも事実で、むしろ呼び名をフランクにすることがいっそう綾女に対する信奉を深める結果となった。
 優しくて美人で、それでいて気さく。非の打ち所のない彼女と知り合いになれただけで、おつりがくる。
「……武内」
「は、はいっ」
 幸せな気分は、男の低音で一気に吹き飛ばされた。入室してから今までさまざまな理由で脈動していた心臓が、苗字を呼ばれたことでついに外へ飛び出しそうになる。
「謝罪をするぐらいなら最初から遅刻をするな、と。いったい何度言えばわかるんだ?」
 パイプ椅子に座っていた眼鏡の男は、体の前で組んだ腕をピクリともさせず、優しさなど欠片も見当たらない冷徹な声色でヒビキを睨みつけた。威厳でいうのなら、間違いなく綾女より部長らしさがある。
「あ、あの、あのあのあの」
 綾女のおかげで緩んだ緊張の糸が、再び臨界間際まで引き絞られる。
 威圧感の強い上級生の男性から鋭い眼光で質問をされようものなら、たちまちにして思考の濁流に呑み込まれること請け合いだった。怒られてしまう。早く答えなければ。でも正直に言ったら言ったで怒られてしまいそうだ。でも何か喋らなくては言わなければ言うのだ言うのだ言うのだ言うのだ。
「あ、あああああ」
 焦りは緊張を生み、緊張は混乱に変わる。舌が円滑に回らない。言葉になる前の一文字を繰り返し、それがさらに焦燥を掻き立て悪循環を作っていく。
「ダメですよ、章一さん」
 言葉の渦に翻弄されるヒビキに、助け舟が渡された。
 涙の滲んだ目で、声のした方を振り向く。
「章一さんは目つき悪いんですから、もう少しにこやかにお話してくれませんと」
 綾女が、自分の人差し指を口元に添えてどこか楽しそうな口調で、男をたしなめていた。
「アヤ。君は甘い」
「甘々ですよー? 彼女とデートするときの章一さんぐらい、部活中の私は甘々です」
 笑顔を一切乱さずに言われた台詞に思い当たる節でもあるのか、男はいがらっぽいものを混ぜ込んだようなうめき声を上げ、眉を八の字にした。同時に、ヒビキの心も落ち着きを取り戻していく。
「ふんっ」
 章一は、指先でずれてもいない眼鏡を押し上げ、どうにかしてもう一度さっきの厳かなオーラを纏おうという涙ぐましい努力をしていた。が、一度崩れた雰囲気を引き戻すのはそうそう容易くはないらしく、間髪いれずに別方向からのからかいが飛んできた。
「ふふーん。さすがの章一先輩も、お姉ちゃんに掛かれば形無しですねー」
「うるさいぞ変態」
「えーん、恋人の弟にそんな呼び方しますかフツー。あ、あとこんにちは、キョウちゃん」
 当たり前のように読みの異なる呼び名でついでのように挨拶をされるが、むしろきちんと自分に意識を向けられていることがわかり、ヒビキは照れ笑いで返した。
 長くて美しい白髪は、夏でも黒地を貫き通すセーラー服によく映えている。根本的なところが間違っているくせに、違和感など何一つ生み出していない完璧な見目麗しさを、その男性は身に着けていた。
 そう、男性。女性ではなく、男性。いくら女子用の制服を着ていてそれが似合っていようとも、ヒビキはその中身が男性下着を着用する性別であることを知っていた。
 年の暮れも差し迫ったあの日に出会った女装男とは、入学式で再会を果たした。何の因果で、と普通ならば嘆くだろう。
 しかしヒビキは己の運命を呪うどころか、感謝をしている。この男にまた出会えたことが、純粋に嬉しかったのだ。
「こ、こんにちは。フミさん」
 高鳴る鼓動を抑えながら部室の中を進み、フミと呼んだ男の対面に着席をする。
 一応同級生ということもあって、彼をあだ名で呼ぶことにさしたる抵抗はなかった。本名を知らないのだから、それ以前の問題だともいえる。
 姉の綾女も、彼のことは『フミ』というあだ名でしか呼ばない。
 何か秘密があるのか、それとも単純に自分の本名を嫌っているのか。
「あれ、キョウちゃんヘアピンしてるの? 珍しいね」
「へぅ!?」
 フミについての考えていると、さっそく彼が間違い探しを答えてきた。
 確かに今日は、普段装飾など施さないヒビキのおかっぱ頭に藍色のヘアピンが留められている。自己主張の少ない色の髪留めは彼女の髪に溶け込んでいて、一べつ程度では気付けないほどの些細な違いしかなかった。それはつまり普段からよく観察してくれているということのような気がして、否応にも顔が熱くなる。
「ここ、これは、その……」
 舞い上がった気分を鎮静しつつ、なぜ今日に限ってアクセサリーをつけていたのかとの回想を巡らせる。
 いままでヘアピンの存在自体を失念していただけあって、その理由は大したことないどころか散々たるものであった。
「ね、ぐせが、直らな、くて」
 とつとつと、バカ正直に今朝の一幕を白状する。
 呆れられるだろうか。寝癖のごまかしにヘアピンを使うなんて、女の子らしくないと笑われるだろうか。
「あーそっか。寝癖対策ね。いい考えだねそれ」
 フミの反応は、予想していたどれでもなかった。自分の細く美しい白髪をすくい上げ、苦笑いを含んだ表情を浮かべている。
「ボク、髪長いじゃない? 朝起きたときなんかもう、すっごいんだよー? こう、ぐわーって」
「ぐ、ぐわー?」
 けらけら笑いながら、指に絡ませた髪を無造作に広げ逆立てる。怒髪天なのに笑顔という、奇妙な構図が出来上がっていた。
「酷い日はポニテとかツインテールとかにして誤魔化していたんだけどね。でもそうかヘアピンね。そういうのもあるのか」
「切ればいいだろう」
 新たな寝癖改善法を獲得しご満悦そうなフミに、隣に座る眼鏡男の鋭い声が割り込んできた。
「だいたいお前の髪は、色も長さも校則違反なんてものじゃない。いっそのこと坊主にでもしたらどうだ」
「うわぁ章一先輩ってばキチク。髪は女の命なんですよー?」
「お前は男だろうが」
「確かめたんですかぁ? 胸のない女の子もトランクスをはく女の子も、世の中普通にいるんですけどー」
「ほぅ。それは俺に、触って確かめろと言っているのか? この俺に、女装男の服をまさぐれと!」
「私はむしろ胸アツです。章一さんっ、バーンと押し倒しちゃってください!」
「よかったですね章一先輩。彼女公認です」
「マイノリティーにも程があるっ!」
 威圧感バリバリだった男は、姉妹にしか見えない姉弟に翻弄されいまや見る影もなくなっている。
 基本的に苦手な人種ではあるが、いじり倒される姿にはある種の親しみを感じていた。
「ところで章一さん。そろそろ始めません?」
「君らのせいでタイミングがずれたんだがな……まぁ、いい」
 何かを促す綾女の台詞に、章一は文句を言いながら気を取り直すようにして口を開いた。
「武内、それと稲木弟」
「は、はいっ」
「いつも思うんですけど、未来の義弟に向かって他人行儀過ぎません?」
「君らは、この二ヶ月前でかなりの文章力を磨き上げた。そこでだ」
「わー無視ですか」
 冷やかすフミの声が、届いていないわけではないはずだ。それを示すように、眼鏡を押し上げる指先はぷるぷると震えている。いつ爆発するのかと、ヒビキはさっきから気が気でなかった。
「来月までに、八千字程度のショートストーリを、提出してもらいたい」
「しょ、しょしょ、ショートストーリー?」
 ストレスを蓄積させた声が衝撃的な内容を紡ぎ、それを受けて目を見張る。
 ショートストーリー、つまり短編小説。八千字というと、原稿用紙に換算して約二十枚になる。これまで部活で書いてきた枚数はその四分の一だったことから考えると、途方もない数字に膨れ上がっていた。
「むむむ、無理です! は、八千字なんて、そんな」
「ヒビキちゃん、落ち着いてください」
 慌てだしたヒビキを、隣に座る綾女の優しい声が落ち着かせる。
「で、でも」
「大丈夫だよぉ。あと一ヶ月もあるんだし、書けるだけの実力はちゃんと備わってますから」
「公共の場で販売するのだから、稚拙な出来は許されんがな」
「こう、きょっ。はん、ば……っ」
 章一の口から飛び出す更なる情報が、呼吸困難すら引き起こす。
 公共に、販売? どこで? いやそもそも自分の小説が売りに出されるという話からして、まったく理解できない。
「もぅ章一さんっ。そうやってプレッシャーかけないっ」
「ぬ」
 少し厳しめの口調にいかほどの効果があったのか、章一は小さく呻いただけでそれ以上口は開くことはなくなった。
「ごめんねヒビキちゃん。でも、章一さんだって去年は似たような反応していたんですよ」
「ふぇ?」
 目の前にいる冷酷人間が、今の自分みたいに慌てふためいていた。そんな光景が想像できるはずもないが、綾女の発言ということもあって何とかイメージをはじき出そうと努力する。
「……あはっ」
 眼鏡をせわしなくカチャカチャとやりながら右往左往する章一の姿が浮かぶ。姉弟に翻弄されている姿と重ね合わせたら、意外とすんなり想像できた。
「笑うな、武内」
「今はこんな風に威張ってますけど、文芸部に入ったばかりの章一さんはダメダメの萌え萌えだったんですから~」
「もえもえ」
 綾女の言葉は、時々ヒビキの理解できる範疇を振り切る。
 しかし何となくニュアンスは伝わっているので、深く尋ねはしなかった。
「……稲木弟。交代だ」
 ぐったりと疲れた声が、フミに後のことを託す。
「えー? ボクも一応、説明される側のはずなんですけど」
「大体の事情はわかっているだろう。それに、販売についての説明は俺よりも君ら姉弟のほうが適切だ」
 そこまで言い終えると、章一は机の上に両肘を突き俯いてしまった。
 もう話したくないという空気が、ぐったりと落とした肩に重くまとわりついている。
「仕方ないなぁ。えっとね、キョウちゃん」
「は、はい」
 先輩に代わって解説役を引き継いだフミが、衝撃的な言葉の意味を一つ一つ解きほぐしていく。
「まず、販売って言っても、そう難しく考えることはないよ。印刷所に頼んで自費出版した本を、あるイベントで限定的に売り出すってだけの話だから」
「い、イベントの限定販売、ですか」
「うん。もちろん発行部数だってこっちで決められるから、本を手に取る人はかなり限られる。例年通りなら、五十部ってとこ?」
 最後の部分は、ヒビキではなく姉に向けられた質問だった。
「そうだよ。冬コミのときとほとんど同じ」
「冬、こみ?」
「そ、冬コミ。ボクとキョウちゃんが初めて会った、あのイベントの名前だよ」
「はひっ!?」
 本日何度目かもわからない驚きの声が上がった。
 半裸少女の紙袋を肩に提げる男と、男同士が裸で抱き合う本を抱えた女の姿が、高笑いと共にフラッシュバックする。
 まさかこの部は、アレを作る気なのか。帰りたい。というか、帰る。
「あー待って待って。早とちりしないで。ボク達が作るのはあーゆーのじゃないから」
 ヒビキの顔色を察したのか、フミは慌てた様子もなくやんわりと否定する。ここでもし誤解だと言って必死に詰め寄って来ようものなら、即座に退席していた。
「そういえばヒビキちゃん、オタクと腐女子に絡まれたんだっけ。……チッ、マナー知らずのクソめが」
「え?」
「なんでもないですよ~」
 今、隣の席からドスッ黒い声色が聞こえた気がした。が、振り向いてもそこにいるのは女神のような微笑を浮かべる綾女だけだった。
「えと、説明続けるね? 文芸部は年に二回、あのイベントで自費出版の合同誌を展示販売している。ここまではオーケー?」
 頷く。本ということは、少なくとも美少女紙袋との無関係は継続できそうだった。
「それで、印刷所の締め切りが大体イベント開催の二週間前。つまりあと一ヶ月の間に、ボクらは合同誌を用意しておく必要があるってワケ」
「最悪、当日発行も出来ますけど、できれば余裕を持って迎えるべきだと思います」
「ボクもお姉ちゃんと同じ意見。特に夏コミは体力勝負だしねー」
 姉弟の間で交わされる言葉に疑問は尽きない。章一の発言から始まったショックはあらかた氷解したものの、納得できる答えはまだ貰っていなかった。
「あ、あの。いいですか?」
 挙手をし発言の許可を求める。四つの目は、続くヒビキの言葉を待った。
「なな、なんで、そのイベントに参加しているんです、か?」
 体力勝負とか締め切りとか。わざわざそんな苦労をしてまであの魔境に足を運び、自費出版の本を販売する理由が、まったく理解できない。
 それに、文章力が鍛えられたと言われたが、それはあくまでも学生レベルだ。仮に本当に自分が八千文字の短編小説を書き上げられたとしても、それが人からお金を受け取れるほどの上出来な代物になるとは到底思えなかった。
 恥だらけの駄文を本にして、恐ろしい場所で恐ろしい人たちを相手にお金のやり取りをする。まるで、悪夢のような話だ。
 そう。悪い夢を見たがる人間などいるはずがない。
 なのに。
「なんでって……ねぇ?」
「だよね、お姉ちゃん」
 稲木姉弟は互いの視線を絡ませあい、心の底からわき出したような満面の微笑みで、ヒビキに単純明快な一言を揃えて主張した。

 楽しいから、と。




「これ『うそつきリリ」 否
「なら『プラナスガー」  否!
「そうか『神のみ』のしお」 否ぁ!


……お付き合いいただければ重畳です
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プロフィール

巫

Author:巫

・TS好きのはしくれ
・小説モドキを主に不法投棄します
・えろいといえなくもない表現を時々するため、10代前半以下の方の閲覧はお勧めしません

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・ぬるい目で見守っていただければ重畳
・……上記のように妙な言い回しをする悪癖あり

・モドキとはいえ小説を公に無断転載してはいけません 常考
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